ENGLISH
鬼とやなり House Rattler (2019)
Stopmotion animation, 6min 27sec
Music by Marty Hicks/ Sound Design by Misaki Hasuo
TokyoUniversity of the arts
日本語
昔から、この国ではどこの家にも妖怪家鳴りが住んでいた。しかし、徐々に衰退していく木材建築の家々には、もはや耳の遠い老人たちしか住んでおらず、家鳴りの声も聞こえない。家鳴りは時々、それを寂しく思う。
This house rattling spirit has lived in this old house for generations. But the old woman who lives there as the final resident can no longer hear the noises it makes, which leaves the house rattler filled with a sense of longing.
House Rattler tells the story of an old woman who lives alone in an old Japanese house in a depopulated town, and the spectre (yokai) that shares this house with her. The protagonist of the film is a yokai a few inches tall called a yanari, which appears in Japanese folklore. It has long been believed that the mysterious creaking and other noises that can sometimes be heard in the house are the work of yokai trying to startle the residents. While yanari are yokai that are unique to Japanese houses, the term yokai originally referred to monsters that bring about bizarre and unusual phenomena that are beyond human understanding. In Japan, people have long believed and feared that the world they live in has a shadowy side that they cannot see, and by calling them yokai, they have created a boundary between their daily lives and the human world, keeping them at a distance.
本作の主人公は、日本の民間伝承に登場する「鳴家(やなり)」と呼ばれる数寸程度の妖怪で、昔から時々家の中で何やら不可思議な軋みなどの音が聞こえるのは、住民を驚かせようとする彼らの仕業であると信じられてきた。日本では、「家鳴り」しかり、古くから私たちの住む家には見えない影の部分があることを信じて恐れ、それらを「鬼」と呼び、日常から遠いものとした。今では、この文化は廃れつつあり、かつて「鬼」を感じていた住民たちは年老い、明るい現代社会の影として、鬼の側に立場が逆転して生きているかのようである。本作は、現代の社会から取り残されていく老人と民間伝承の生き物を、影と光の効果を使って描いた映像作品である。
元々、高度成長期以前の日本家屋というものは、家の中に光で照らされた箇所と、光の届かない影の部分が明確に存在した。例えば、家の中では、蝋燭の火や電球で照らされた家の中心を家族団欒の安全な場所とする一方で、その光の届かない場所、例えばそれは厠や、廊下、井戸の中など、身の危険が感じるような場所に対する恐れから、そこにh闇の妖怪たちが住んでいる信じられてきた。このように、光と影、日常と非日常の境界線が、身近な家の中にも存在していることによって、日本家屋や日常そのものに奥行き作り、光と影の立体感のある生活があったと考えられている。
妖怪という存在は光と影の境界線を軽やかに越境する存在であったのではないのだろうか。彼らは、その闇の世界の住民でありながらも、私たちの日常にぽっと時たま姿を表す、身近な存在であり、彼らが時たまこの私たち人間の世界と闇の世界を越境して姿を表すことによって、私たちに闇の世界が存在することをある意味教えてくれるような役割があったように思う。
しかし、このような妖怪文化や日本家屋は、高度成長期以降、家の中でも外でも常に光が灯るようになり、日常の中から闇の存在が薄れていった。妖怪はこの光と影の境界線を越境することは叶わなくなり、また、かつて彼らの存在を信じていた人たちも高齢化していくにつれて、どこか中心的な社会の影のような存在になっていくことによって、影の世界の住民へと吸収されていくようになった。まるでそれは、明るいところから影の中が見えにくいように、私たちが日常だと思っている側の世界からは見えにくくなりつつある影の世界へと移行していくようだ。
本作は、どこかその中心のコミュニティーの外側へ押し出されていく存在に対して、影の住人である妖怪の側からみつめるような、闇の側から光の方向に向かって覗き見る意図があった。
本作は、光と影の狭間を移動する民間伝承の生き物を、あたかも本当に存在しているかのように、実際に祖母の家で、人形を一コマ一コマづつ動かし撮影した。人形のサイズ感をそのまま「やなり」の大きさとして生かし、人間のスケール感で撮影することは、私たちの日常と異界が混在するこの家の雰囲気そのものを作り出している。